TOP 〉 slow dining 〉 CONDENSE
母の背中をみてデザイナーを志した少年は、
細やかな気遣いのできる本質的なデザイナーとなった。
一般的に、普通の青春時代を送った少年は、グラフィックデザイナーになりたいとは思わない。
デザイナー?何、それ?というのが大半なのではないか。
偶然にも母親がデザイナーだった梶原勇吾さんは、自宅で仕事をするその姿に憧れた。
夏は涼しく、冬は暖かい。体力的にも楽そうだ。
ちょっと都合の良い夢だが、とにかくデザイナーに憧れたのだ。
中学で水泳部だった梶原さんは、高校では水球部。インターハイ、国体とその実力を発揮した。
九州選抜ベスト13にも選ばれたバリバリのスポーツマンだ。
このまま水球を続けることを期待された梶原さんは、高校を卒業すると水から上がった。
「家が貧乏だったから」と笑う梶原さん。
夢であったデザインの専門学校に通う傍ら新聞奨学生として昼夜を問わず働いた。
20歳の成人式を向かえる頃に大分の広告代理店にデザイナーとして就職。
良いのか悪いのか、入れ替わりの激しい職場だったので、いろいろな先輩にアドバイスがもらえたのだそう。
ただ、仕事は営業担当がとってきて、その指示通りにデザインを行なう事が多かった。
自分の思いをデザインに込めても、あっさり修正指示が返ってくる。
クライアントに直接提案をしたいのだが、それはできない。
営業担当にも考えがあるからだ。
もどかしい思いを持ったままデザインの経験を積んでいると、WEBデザインに興味を引かれた。
しかし、ここにはWEBデザインの仕事はなかった...。
福岡へ行くことにした。
広告代理店にデザイナーとして入社。
その会社は、営業はスケジュールと数字の管理、デザイナーはデザインの打ち合わせを直接クライアントと行なうスタンスだった。
デザイナーの仕事は、ビジュアルとしてのデザインというよりも、クライアントの想いを受けとめることだった。
クライアントの本当の悩みを理解しないと、答えは返せない。
違う答えを返してしまうのが悔しかった。
優しいクライアントからは「もうこれでいいよ」と言われることもあったが、
それでは根本からの解決には至らない。
梶原さんは自分の力不足に涙した。
デザインの限界はない。できないのは自分が悪いのだ。
「CONDENSE」を設立したのは結婚がきっかけ。2007年の事だった。
クライアントの思いをカタチにすることだけを考えて、丁寧に仕事をやっている。
それは信用につながる。信用されるとプロジェクトの最初から関われる。
商品や会社のブランディングまで関わらせていただける事は、とってもやりがいのある事。
「自分は喋りが得意ではない」と梶原さん。「だから自分の制作物のクオリティをあげて自己紹介するしかないんです。仕事は制作物と結果がすべてだから」
デザインにできることを追求する梶原さんに興味を持たれた方は、ぜひ「CONDENSE」のWEB SITEを訪れてみるといい。
デザイナー?何、それ?というのが大半なのではないか。
偶然にも母親がデザイナーだった梶原勇吾さんは、自宅で仕事をするその姿に憧れた。
夏は涼しく、冬は暖かい。体力的にも楽そうだ。
ちょっと都合の良い夢だが、とにかくデザイナーに憧れたのだ。
中学で水泳部だった梶原さんは、高校では水球部。インターハイ、国体とその実力を発揮した。
九州選抜ベスト13にも選ばれたバリバリのスポーツマンだ。
このまま水球を続けることを期待された梶原さんは、高校を卒業すると水から上がった。
「家が貧乏だったから」と笑う梶原さん。
夢であったデザインの専門学校に通う傍ら新聞奨学生として昼夜を問わず働いた。
20歳の成人式を向かえる頃に大分の広告代理店にデザイナーとして就職。
良いのか悪いのか、入れ替わりの激しい職場だったので、いろいろな先輩にアドバイスがもらえたのだそう。
ただ、仕事は営業担当がとってきて、その指示通りにデザインを行なう事が多かった。
自分の思いをデザインに込めても、あっさり修正指示が返ってくる。
クライアントに直接提案をしたいのだが、それはできない。
営業担当にも考えがあるからだ。
もどかしい思いを持ったままデザインの経験を積んでいると、WEBデザインに興味を引かれた。
しかし、ここにはWEBデザインの仕事はなかった...。
福岡へ行くことにした。
広告代理店にデザイナーとして入社。
その会社は、営業はスケジュールと数字の管理、デザイナーはデザインの打ち合わせを直接クライアントと行なうスタンスだった。
デザイナーの仕事は、ビジュアルとしてのデザインというよりも、クライアントの想いを受けとめることだった。
クライアントの本当の悩みを理解しないと、答えは返せない。
違う答えを返してしまうのが悔しかった。
優しいクライアントからは「もうこれでいいよ」と言われることもあったが、
それでは根本からの解決には至らない。
梶原さんは自分の力不足に涙した。
デザインの限界はない。できないのは自分が悪いのだ。
「CONDENSE」を設立したのは結婚がきっかけ。2007年の事だった。
クライアントの思いをカタチにすることだけを考えて、丁寧に仕事をやっている。
それは信用につながる。信用されるとプロジェクトの最初から関われる。
商品や会社のブランディングまで関わらせていただける事は、とってもやりがいのある事。
「自分は喋りが得意ではない」と梶原さん。「だから自分の制作物のクオリティをあげて自己紹介するしかないんです。仕事は制作物と結果がすべてだから」
デザインにできることを追求する梶原さんに興味を持たれた方は、ぜひ「CONDENSE」のWEB SITEを訪れてみるといい。
デザイナー
梶原 勇吾さん
大分市出身。自然界の生態系を水槽の中に再現する「ネイチャーアクアリウム」に夢中。
水の中の箱庭を眺めていると、盆栽のような「侘び寂び」を感じるという。
水の中の箱庭を眺めていると、盆栽のような「侘び寂び」を感じるという。