TOP 〉 TAKENISHI TERRACE 〉 nicoドーナツ
湯布院の本店、宇佐店のほか東京や山形にものれんわけした店舗がある、大分が誇る人気ドーナツ専門店。
大豆ペーストなど安心・安全の素材を使ったドーナツは幅広い世代に愛されている。
ロゴやパッケージもシンプルでいて可愛いデザイン。
大好きなドーナツとともに歩んだ10年。
自然に、無理なく、楽しみながら。
10年ほど前は「ここの、おいしいんよ〜」、数年後から「ここの、おいしくて有名なんよ〜」、最近では「ここの、おいしいよな!」とすっかり定番・鉄板の大分生まれスイーツとなったnicoドーナツ。
麻布十番や山形にも店舗があると耳にした時は、創業者はさぞかしバリバリのやり手って感じの人なんだろうな、と思ったものだ。が、初めて会ったタカクラさんはナチュラルな雰囲気の女性。
それは、ベレー帽や真っ白なTシャツに演出されたのではなく、内側からあふれるものだった。
湯平温泉で旅館を営む家に育ち、大人になると興味のあった雑貨の世界に身を置いたタカクラさん。
福岡で働いたのち、湯布院で雑貨店を開いたが結婚・出産を機に閉店。双子の子どもたちが1歳になるころ、外の世界に出たい気持ちがふつふつとこみ上げてきた。そこで頭にうかんできたのは、学生時代に専門店でバイトし、就職まで考えたほど好きだったドーナツ。もともと凝り症だったこともあり、楽しみながら研究を重ねた結果、大豆ペーストを使った独自のドーナツを完成させた。
ご主人が切り盛りする花屋の一角で販売を始め、2回目の出産後まもなく、湯布院に本店を開店。当時は野心などまるでなく、「ただ楽しく働きたい」と事業を立ち上げたものの、nicoドーナツの味と哲学に惚れ込んだ人から「自分もやりたい」と申し出があり、のれんわけをした。
TAKENISHI TERRACEへの出店は、付き合いのある建築家から話を聞いたことがきっかけ。
利益うんぬんより、人も場所も自分にあうか、居心地がいいか、ご縁とインスピレーションを大事に選んだ結果、事業は広がり続けた。
そんな多忙を極めるタカクラさんだが、今の最優先は子育て。とはいえ仕事との両立は簡単ではない。
コツは「無理しないこと。苦しいことばかりだったら意味がないと思う。柔軟に、自由に、楽しめることをしていきたいです」とあくまで自然体だ。
「ここで、ゆくゆくは花のワークショップなどのイベントもしてみたい。いろんなことが発信できそう!」。タカクラさんのワクワクを糧に、nicoドーナツはこれからものびのびと育っていきそうだ。
麻布十番や山形にも店舗があると耳にした時は、創業者はさぞかしバリバリのやり手って感じの人なんだろうな、と思ったものだ。が、初めて会ったタカクラさんはナチュラルな雰囲気の女性。
それは、ベレー帽や真っ白なTシャツに演出されたのではなく、内側からあふれるものだった。
湯平温泉で旅館を営む家に育ち、大人になると興味のあった雑貨の世界に身を置いたタカクラさん。
福岡で働いたのち、湯布院で雑貨店を開いたが結婚・出産を機に閉店。双子の子どもたちが1歳になるころ、外の世界に出たい気持ちがふつふつとこみ上げてきた。そこで頭にうかんできたのは、学生時代に専門店でバイトし、就職まで考えたほど好きだったドーナツ。もともと凝り症だったこともあり、楽しみながら研究を重ねた結果、大豆ペーストを使った独自のドーナツを完成させた。
ご主人が切り盛りする花屋の一角で販売を始め、2回目の出産後まもなく、湯布院に本店を開店。当時は野心などまるでなく、「ただ楽しく働きたい」と事業を立ち上げたものの、nicoドーナツの味と哲学に惚れ込んだ人から「自分もやりたい」と申し出があり、のれんわけをした。
TAKENISHI TERRACEへの出店は、付き合いのある建築家から話を聞いたことがきっかけ。
利益うんぬんより、人も場所も自分にあうか、居心地がいいか、ご縁とインスピレーションを大事に選んだ結果、事業は広がり続けた。
そんな多忙を極めるタカクラさんだが、今の最優先は子育て。とはいえ仕事との両立は簡単ではない。
コツは「無理しないこと。苦しいことばかりだったら意味がないと思う。柔軟に、自由に、楽しめることをしていきたいです」とあくまで自然体だ。
「ここで、ゆくゆくは花のワークショップなどのイベントもしてみたい。いろんなことが発信できそう!」。タカクラさんのワクワクを糧に、nicoドーナツはこれからものびのびと育っていきそうだ。
オーナー
タカクラ ミキさんMiki Takakura
「一緒に夢をみて楽しいことができる存在」のご主人とお子さんが、今の自分を支えてくれているという素敵な妻でママでもあるオーナー。
「ニコ」は実は子どもにつけたかったが、「暮らしや食のなかにいつもニコニコがありますように」と店名にすることを決めたそう。
「ニコ」は実は子どもにつけたかったが、「暮らしや食のなかにいつもニコニコがありますように」と店名にすることを決めたそう。